グローバルな金融経済の動向を、ユニークな視点を交えてお伝えいたします。

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米国債をデフォルトの危機と米議会

 今年は本当にこれまで、考えもしないような出来事が起こる年です。

 福島の原発事故もそうですが、ムーディーズやS&Pといった米国贔屓の格付け機関が、こんなに早く米国債の格下げの可能性を示唆するとは予想していませんでした。

 といっても格付け機関が重い腰を上げたのは何も彼らの英断ではなく格付けの見直しはあくまでも技術的な問題です。

 米国の債務残高は5月時点で法定上限に達しているため新規の国債を発行することが出来ない状態です。このためオバマ政権は債務上限を引き上げる法案を提出しました。しかしながら下院で多数を占める野党共和党は大幅な財政赤字削減を伴わない債務上限の引き上げに反対しており、米国議会の協議は難航したままです。

 格付け機関としては、気持ちの上ではどんなに自国の格付けを甘く採点したくても、このままでは現実問題として連邦政府の金庫が底をつき、カリフォルニア州のような状況に陥るリスクがある限り、最上級のAAAという格付けを付与することは出来ません。

 オバマ政権の支出増路線に反対して、米国債を(少なくとも形式的な)デフォルトの危機に陥れている野党共和党を中心とした議会に対しては、「愚の骨頂」という批判の声も一部から上がっています。

 確かに、もし米国債が議会の頑固な抵抗によって、結果的に米国債のデフォルトを招く事態に至った場合には、米国の失うものは計り知れないかもしれません。

 110兆円もの借金をして米国債を抱え続けている日本政府・財務省としても、米国議会の「蛮行」は気になるところでしょう。

(余談になりますが、米政府のお金の管理も、あまり褒められたものではありません。
 
 先月、米国防省はイラク復興資金から、66億ドル(約5200億円)もの現金を紛失したというニュースがありました。イラク復興に必要として米国は円に換算して1兆円もの札束を空輸したそうですが、その半分以上が行方不明になってしまったというのです。もともとこれはイラクの石油収入や旧フセイン政権の資産で、イラク暫定政府に代わって米国を中心とした占領当局(CPA)が管理していたものです。

 尚、イラク戦争に関して言えば、戦争突入に誰よりも力を貸したチェイニー氏が大株主であるハリバートン社が、戦争の支援ビジネスなどで大儲けをしたことは有名な話です。)

 米国の中産階級の支払った税金はイラクやアフガニスタンの戦費として湯水のごとく使われてきたわけですが、今回米国の(国債増発を可能にする)債務上限引き上げに反対に回っているのは、巨額の戦費や減税を実行して赤字を拡大した前政権を担っていた共和党を中心とした勢力であるところが、少々問題のややこしいところです。

 個人的には、債務上限引き上げ反対の動機には政治的かけひきが見てとれて正直なところあまり感心できない部分も多く、それをあまり感心できない人々が叫んでいるという印象は強いのですが、いずれにしても国の予算のムダを縮小させようとする行動自体は誰かがする必要があります。

 そもそも、アメリカに限らず、一握りの人々が国家の巨額の資金を勝手に動かすことが出来ることは、現代民主主義の大きな欠点です。

 日本政府も、地震大国であるにも関わらず、テキトーな議論を並べて54基もの原発を作って来ただけでなく、自分勝手でなにを仕出かすか分からない米国の国債に、まともな議論をまったくしないまま110兆円も資金を投入してきました。

 どの国の政府も、少数の政策担当者が、巨額の国家予算を使って自分たちの利権を潤すという状態は変わりません。

 そろそろ、こういった状態に終止符を打ちたいところですが、今米国の議会で起こっていることは、その一つのヒントになるかもしれません。

佐渡裕指揮のベルリン・フィル

 指揮者の佐渡裕さんは、先月ベルリン・フィルを初めて指揮しましたが、その練習風景などのドキュメンタリーをTBSとNHKが相次いで放送しました。

 初めて登場する指揮者の取材に、テレビ局が2つも密着して取材したわけですから、ベルリン・フィルとしても、日本のテレビ局のほとんどストーカーに近い様な有名日本人追っかけにはビックリしたかもしれません。

 バーンスタインの弟子であった佐渡さんの情熱的な指揮は大変に素晴らしいものでしたが、佐渡さんの指揮の素晴らしさは、いろいろなメディアで書かれていると思うので、今日はベルリン・フィルの方に重点を置いて考えてみます。

 これは、テレビでは絶対に体感できないのですが、ベルリン・フィルの凄さは、とても小さく音はよく聞こえないが繊細さと緊張感だけは伝わるようなピアニッシモから、密度が濃い爆発的なフォルテッシモまでのダイナミック・レンジの広さと、その表現の多様さにあります。

 筆者は、90年代にロンドンで暮らしていた時代は、連日のようにコンサート・ホールに出かけて世界中のオーケストラを聞きまくるような、今から考えるとまったく贅沢な生活を送っていましたが、ベルリン・フィルのダイナミック・レンジの広さは世界の一流オーケストラの中でも全く群を抜いていました。

 恐らく物理的な音量の幅広さでも他を圧しているのですが、さらに凄いのは音の密度がどんな音量でも、スカスカの音や乱暴な音にならないで、ちょうど良い密度を保つことが出来ることです。もちろん表現が必要な時は乱暴な音も出せます。

 かすかに聞こえるか聞こえない程の緊張感のある弱音から、ハラワタまで響き渡るようなフォルテシモに変化する響きを目の当たりにするのは、ほんとうに鳥肌が立つような経験です。

 さて、佐渡さんが指揮したショスタコービッチの交響曲は、ベルリン・フィルが髪を振り乱して応じて大変に熱のこもった演奏をしていて、その熱気がテレビの画像を通じてでさえよく伝わってきました。

 ベルリン・フィルの音に慣れたベルリンの聴衆までもが指揮者が「オーケストラのエネルギーを引き出していた」と評価する演奏だったので、もし生で聴いていたら、きっと涙が出るような体験だったのでしょう。(実際、指揮者の佐渡さん自身が感激して涙を流しながら演奏していました。)

 ドキュメンタリーでは、ベルリン・フィルというオーケストラは単に拍子をとっているだけの指揮者は求めておらず、それ以外の何かを団員に伝え、共感させることが出来ない指揮者には、たとえそれが世界的に高名な指揮者であっても、冷酷に扱われることさえあることを伝えています。

そのようなリスクもあるなかで、佐渡さんの場合は情熱やエネルギーを伝え、それを団員からも引き出したことでコンサートは大成功したわけです。

 そもそもベルリン・フィルのダイナミック・レンジの広さと多様さという機能自体、彼らが音符に書いてあること以外のことを日頃から追求していることの証とも言えるかも知れません。

その点が、近年大分変化しつつあるものの「音符を忠実になぞる」ことから大きく逸脱することが出来ない、N響をはじめとする日本のオーケストラとの違いなのかもしれません。

 少し話は変わりますが、現在の政治の機能不全を見ていると、日本人が欧米の文化を単に「真似ごと」のようなやり方で行うアプローチには何か限界があるように思えます。

 佐渡さんの「伝えたい何か」の源流には落語があるそうですが、きっと音楽でも政治でも、大切なのは「何を表現したいのか」ということで、形の問題ではないのでしょう。

 そんなことを感じました。

CO2悪者説を再考すべき時が来た

 福島原発の事故は、期せずしてエネルギー政策を巡る国、官僚、電力会社、学者、それにメディアの利権構造を浮き彫りにする効果をもたらしました。

 これまでのメディアから国民に流される情報は、国民のためのものでなく、特定の利権グループの利益を守る為のもので、彼らの言う「経済性」とは彼ら自身のおカネのことであり、「安全性」は適当にでっち上げた空想の世界のことであったことが分かったのではないでしょうか。

 さて、そのようなカネ中心の構図が日本だけの特殊な現象なのかといえば、当然答えは「ノー」ではないでしょうか。日本人にも悪い奴はいますが、世界の悪い奴に比べれば、赤子みたいなものです。

 今から1年半前の2009年12月、コペンハーゲンでCO2の削減を話し合う気候変動枠組み条約第15回締結国会議(COP15)が行われたことは、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。 

 コペンハーゲンのCOP15は法的拘束力のある合意の締結に至らず、会議自体が「失敗」だったという評価がされましたが、実は地球温暖化問題への人類の取り組みは、会議とは別のところでも大きな揺さぶりを受けていました。

 会議が行われる数週間前に、地球温暖化問題の世界的権威とされる、英国イースト・アングリア大学・気象研究所(CRU)所長のフィリップ・ジョーンズ教授の千通を超すe-mailや研究データの一部が流出して、これまで地球温暖化問題の科学的根拠として説明され続けて来た気温のデータが「捏造」だったのではないかという騒ぎが起こったのです。

 そのメールにはこれまでの世に示されてきたデータは「トリックを使って1961年以降の平均気温の低下のデータを隠した」という文章などさまざまな証拠が含まれ、国連の議論まで捏造した理論でコントロールされていたことまで判明したというのです。

 資料流出の反響は大きく、ウォーターゲート事件をもじった「クライメートゲート(Climategate)」をいう言葉も生まれたほどです。

 しかし、それまでCO2削減の大プロパガンダを実施していた日本の大メディアは、こうした状況ではよくある通りでこの捏造疑惑をほとんど完全に無視しました。本来は報道の自由が保証されているはずの日本のメディアが、時として、政策当局者の一員であるかのように一方のサイドの主張を繰り返す構造は、福島原発直後1,2週間の報道ぶりで見ての通りです。

 欧米のメディアの一部は、この時の捏造疑惑を大々的に報道しましたから、結局CO2削減問題に関連するさまざまな疑惑は、欧米人であれば普通に知っているのに、日本人だけ何も知らずに二酸化炭素が地球環境にとって突出した大問題であるという洗脳を受け続けたことになります。

 さて筆者も最近になって認識したことですが、福島原発の事故で一段と有名になった中部大学の武田邦彦先生はCO2問題で多くの日本人が知らない問題を大変積極的に取り上げていました。メディアの報道だけでは大きく歪められてしまう日本人の知識の多様化に一生懸命取り組んで来ていたわけです。

 下の2冊の本は、いずれも昨年発行されたものですが、上記のようなCO2問題の日本人が知らない側面を勉強するには最適な本です。
ウソ間違いだらけの環境
温暖化謀略論

 エネルギー政策は、世界中の巨大な利権が絡む世界最大の産業と言ってよいでしょう。こうした巨大なカネが動く世界では、さまざまな「謀略」を巡らして、自分たちの利益を高めようとする人々がいて当たり前の世界です。

 そういった視点を持ちつつ、メディアが伝える温暖化問題の報道を鵜呑みにしないように心がけるには、ちょうどよい頃合いなのかもしれません。
 

ギリシャ危機から1年: 結局デフォルトやユーロ離脱は避けられない?

 ギリシャの危機が急激に進展したのはちょうど1年前のゴールデン・ウィークのことでした。昨年の5月2日の日曜日、ユーロ圏のサポートと引換にギリシャ政府が厳しい財政削減策を国民に提示すると、国民から激しい抗議が起り、5月5日には、デモの群集が投げた火炎瓶で3人の銀行員が死亡するという状況にまで事態は悪化しました。

 このような混乱した状態の映像が世界中に流れ、日本の休暇シーズン中に金融市場では激しいユーロ売りを浴び、これをきっかけに急激な円高が進みました。

 さてそれから1年、ゴールデン・ウィークはギリシャの危機進行と縁があるようで、ギリシャの10年債の利回りは12%台から一時16%超に跳ね上がり、追い討ちをかけるように格付け機関のS&Pはギリシャの格付けを「BBマイナス」から「B」まで引き下げました。「B」はいつデフォルトしても全く不思議でない水準です。

 同じユーロ建ての10年ドイツ国債の利回りは現在3%ちょっとですから、ギリシャは13%も余計な金利を投資家に払わなければなりません。政府の借金がGDPの150%近くに達する国では、この上乗せ金利をそのまま適用すると、GDPの2割近くを毎年サラ金のような金利支払いに当てなければならない計算になります。これでは到底クビが回らないことは自明です。

 問題はこうした構造が、1年前から程度の差はあれ本質的には全く変わっていないことです。分かっている問題を放置したために状況がさらに悪化しただけなのです。

 ギリシャのように身の丈に合わない海外依存の借金でクビが回らなくなった国は、かつてのアルゼンチンのように、債券をデフォルトして債務の軽減してもらうとともに、自国通貨を大幅に切り下げて、自国産業の競争力を高めるしかないのです。

 そうしたことは、ユーロ圏の当事者達にとっても程度の差はあれ皆が認識していたことだと思いますが、1年も放置されてきたのは、政治的問題以外の何ものでもないのでしょう。

 政治的問題とは、政治の独立を維持したまま通貨同盟をするというユーロの壮大な実験に失敗の烙印を押したくないという事情です

 もし政治的な理由で「ユーロ離脱はリスクが大き過ぎる」として離脱の可能性を排除するのであれば、それに匹敵するような大胆な施策をひねり出す必要があったのですが、そんな代替案は初めからありませんでした。

 最近になってようやく、ギリシャの債務再編やユーロ離脱が欧州の当事者達の間で現実的な選択肢として議論に上るようになってきました。しかし、関係者の多くは率先して声を上げることを躊躇し、仮に誰かが声をあげても、建前論を並べてなかなか議論が進まない状態です。

 リーダーシップの欠如と最終的な責任関係がはっきりしないという意味では、欧州の通貨同盟は日本の官僚支配社会と相似点があるのかも知れません。

 結局のところ、ギリシャはデフォルトを選択肢に含む債務の削減策と、少なくとも一時的なユーロからの離脱は不可欠のように見えますが、欧州がいつ、どのようなプロセスを経てその結論を受け入れるのかは興味あるところです。

武久源造:「ゴールドベルク変奏曲」

ゴールドベルク
 このゴールドベルク変奏曲の録音は素晴らしいです。
 チェンバロ奏者の武久源造さんのことは、うかつにも最近紹介してもらうまで知りませんでした。ゴールドベルク変奏曲といえば、グレン・グールドがキャリアの最初と最後に録音した2枚のCDが大変に有名ですが、武久さんの演奏はある意味ではグールドとは正反対の音楽です。

 グールドの演奏は、あまりにも感性豊かで繊細、耽美的ともいえるかも知れないもので、最後はその感性に演奏者自身が押しつぶされてしまった感さえあります。一方の、武久さんのゴールドベルクはチェンバロという楽器は繊細なタッチを生かしつつ、何というか骨太で確信に満ちた音楽を造っています。

 武久さん自身がCDの解説書で、「バロック以前の音楽では重要な決定が奏者に委ねられていると言う場合が多い」として、「良い演奏家は、良い趣味と良識を持つ一方で、それをも覆すかのような奇想天外なアイデアを出すことを求められているのである」と書いて、作品に対する良識と演奏者の個性のバランスが大事だと書いています。

 武久さんのこのゴールドベルク変奏曲の演奏では、テンポは安定し、(チェンバロという楽器の特性かも知れませんが)音の強弱も過度に揺らし過ぎることもなく、作品全体の構成感というか、建築性を見事に描いてます。一方で、装飾音については現代の演奏にしてはかなり自由に挿入して、バッハの巨大な音の建築物を飾っています。

 グールドの演奏が、魂を揺り動かす作用があるとすれば、武久さんの演奏は魂に安定感を与える作用があるという印象を受けました。 
 

ビンラディンはなぜ「謎」なのか?

 オサマ・ビンラディンとは何だったのでしょうか?

 9.11によって突然、世界で最も有名な人間の一人になったこの人物は、当初から謎だらけでしたが、予想通りと言うべきか、その最後(と米国が報道しているもの)も謎の多いものとなりました。

 最後の謎を作ったのは、ほかでもないオバマ大統領で、急かされるように水葬にてしまい、遺体の写真の公開さえ拒んだ為に、彼の死に多くの人々が熱狂している(と報道される)米国内でさえ、さまざまな憶測が生まれました。

 オバマ大統領のおひざ元の米議会でも、ニセモノのビンラディン容疑者の遺体写真に複数の上院議員もひっかかるなどの珍事が発生しています。

 こうした状況を打開するために、米政府などはビンラディン容疑者に関する情報を小出しに公開し始めていますが、これが謎を解決するものなのか、それとも更に謎を深めるものなのか人によって見方が分かれるところではないでしょうか。

 そもそも9.11のテロ自体があまりにも謎の多い事件で、世界中にさまざまな疑惑を生んでいる事実は否定しようもなく、その疑惑は時間の経過とともに強くなっているように見えます。ビンラディン容疑者の死に関する報道の一つ一つの事項に関して、米国においてさえ即座に疑念が生まれる状況は、これまでに累積された数々の謎や疑念が出発点になっていることは間違いないでしょう。

 そうはいっても、何が真相なのかは、おそらく地球上の誰にもすべての真相は分からない可能性があり、今後も永久に分からないのでしょう。

 そうした中で一つだけ確実に言えることは、テロやビンラディン容疑者は「謎」でなければならない何らかの事情や理由があったというその事自体でないでしょうか。真相は分からなないにしてもウソはウソを呼び、次第に雪だるまのように膨らみ、その結果として、「謎」も確実に膨らんでいる。そのことだけは疑問の余地がありません。

 オバマ大統領は、3年前の選挙で皆が思ったほど、ブッシュ前大統領と違う人物ではないのかも知れません。

グレン・グールドの「イギリス組曲」収録風景

 最近、「楽しみと日々」の東谷さんに啓発されて、久しぶりGlen Gouldに聞いています。

 下の映像は、1974年にグールドがバッハのイギリス組曲のレポーディングを収録しているドキュメンタリー「Alchemist」の一部です。イギリス組曲の第一番の4曲目に非常に静かな「サラバンド」という曲がありますが、グールドはこのサラバンドを信じられないぐらい瞑想的で美しく弾いています。そして、サラバンドの後に一転してとてもイキイキした「ブーレ」が続きます。
 
 映像はそのブーレの部分を何度も録音しなおして、部分的につぎはぎしながらレコード(CD)を作っていく様子を記録したものです。グールドはクラシック界にありがちな人工的な加工を嫌い「一回限りの生演奏」という価値観に全く重きを置かない人物で、最終的に自分が気に入る音楽を造るには、どんな技術でも取り入れる考えているようです。そうした考え方がこの映像からよく把握でき、彼を32歳でコンサート活動から決別させたことも納得させれられます。

 グールドは録音は「コンサートの代替」以上のものであると言っていますが、この映像をみれば彼が録音に大変なエネルギーを割いていたことがわかりますし、私たちはそのおかげでグールドの死後30年も彼の演奏を堪能することができるのです。

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