グローバルな金融経済の動向を、ユニークな視点を交えてお伝えいたします。

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FRBの歴史(その1)第一・第二合衆国銀行

 最近は世界的に食料品や資源価格の上昇傾向によってインフレの芽が少しずつ育ちつつあるようにもみえます。一方でバーナンキ議長が率いるFRBは「禁断の政策」とも呼ばれる米国債の購入策を今も毎月続けていて、ドル紙幣の価値の下落策にまい進しています。

 このようなFRBの政策の位置づけを理解するにあたって、FRBの歴史を振り返ってみるのも、一つの方法ではないかと思います。そこで、今回から、断続的にではありますが、FRBの歴史についてシリーズにしようかと思います。

<FRBの歴史:アメリカ建国から、第一・第二合衆国銀行まで>

 FRBの設立は1913年です。これは1694年イングランド銀行より遙かに遅れただけでなく、1882年の日本銀行設立より30年以上も遅いのです。どうして設立がこのように遅れたのかという疑問は、現在のFRB制度の不可解さを理解するにあたって意外に重要なポイントなのかもしれません。

 実はFRBは米国において中央銀行(のようなもの)を設立しようとする3度目の試みでようやく出来た組織です。最初の中央銀行設立の試みである、第一合衆国銀行(The First Bank of the United States)は米国が独立して10数年後の1791年に米国建国の父の一人アレクサンダー・ハミルトン財務長官によって設立されました。
 
当時米国では13の諸州の州立銀行やその他の銀行などが発行する通貨が多数流通していて、それぞれの価値は極めて不安定という混乱した状況でした。もともと1787年に制定された合衆国憲法では通貨発行権は議会に属すると定められていたのですが、ハミルトンは憲法を拡大解釈しこのような状況を打開するために合衆国銀行を設立したのです。

ただこの第一合衆国銀行は、各州の自治権意識の高さから、もともと20年という期限を付けるという条件で創設されたものでした。そして銀行設立後も、13の諸州の利害はなかなか一致せず、特に南部諸州の反発もあって20年後に失効してしまいます。

皮肉なことに、第一合衆国銀行失効直後の1812年に勃発した米英戦争の結果、激しいインフレが起こります。インフレによって再び通貨価値の安定の必要性が高まり、第一合衆国銀行失効のわずか5年後の1816年に第二合衆国銀行が設立されました。ただ、これもやはり20年という期限付きでありました。

第二合衆国銀行はインフレ抑制のため引き締め政策をとりました。金融引き締めはいつの時代でも不人気な策で、この政策は企業からの強い反発を受けました。さらに、各州の州立銀行との政治的な対立にも巻き込まれた上、アンドリュー・ジャクソン大統領の支持も失ってしまい、結局第一銀行同様に20年後に失効・消滅の憂き目を見ることになりました。

通貨のコントロールという行為は、その権力を持つ一部の人々に大変な利益をもたらします。そもそもアメリカの東部と中西部では政治・経済的利害が大きく異なります。そのような状況では各州はこの強大な権限を中央に渡したくなかったのでしょう。米国では各州の利害を調整することが難しいことは、今でも忘れてはいけない重要な特性です。

(続く)
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