グローバルな金融経済の動向を、ユニークな視点を交えてお伝えいたします。

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ギリシャを巡る報道とギリシャ国民の利益

 今月の半ばぐらいから、ギリシャのユーロ離脱の可能性が突然高まって来たかのような報道がされていて、驚いている方も多いのではないでしょうか。
ついこの間までは多くのメディアでユーロ離脱などという選択肢はないという政治家や学者のコメントばかり報道してきたのに、最近になって突然(ユーロ導入前のギリシャの通貨)ドラクマ復活の準備を進めるロンドンの金融機関のディーリングルームの様子を報道しだしたりするわけですから、その変化の速さに驚かされる方がいても無理はありません。

個人的には、以前に南米などで国家がデフォルトした事例について時間をかけて研究した経験から、通貨の大幅の切り下げによって意外なほど早く経済の活気を取り戻すことができることを知っていたので、危機が発生した当初から、ユーロから離れると言う道も一つの選択肢ではあると思っていました。

 たしか10日程前の英FT紙の記事に、ギリシャ国民にとってこれからだらだらと10年かそれ以上の期間に渡って続くかもしれない緊縮財政を強いられるよりは、当初の痛みが大きくてもユーロを離れる選択肢を検討すべきであるという趣旨の記事があり、次のようなドイツの諺でしめくくっています。「恐怖に満ちた終わりの方が終わりのない恐怖よりまし」であると。

 ただし、このFT紙の「ギリシャはユーロを離脱すべき」と言う率直な意見は、まだまだFTの他の記事を含めたメディアのなかでは少数意見で、これまでの2年半はほとんどすべてのメディアにおいて「ギリシャ国民はユーロを離脱したらとんでもない目に会う」というトーン一色で、これらの報道からはなんとか離脱を思いとどまらせようという意図が感じられます。

 しかし、良く考えてみれば、ギリシャがユーロを離脱した上でデフォルトした場合、銀行などが持っているギリシャの国債がほぼ完全に紙切れになり、さらにスペインなどに飛び火してしまうと、銀行や企業の投資が想像もつかないほど大損するわけですが、被害を被るのは主として欧州主要国の銀行を中心とする産業界です。したがって、欧州の産業界にとってみると、「生かさず殺さず」でもよいからギリシャにユーロ圏にとどまってほしいという強い期待があるわけです。

 大メディアは各国の利権複合体の一部であって、その意向に沿った方向に動くと言うことも世の東西を問わぬことですから、報道などに「ユーロから離脱すれば大変な目に会う」というアピールが強かったことも、当然何らかの作為が働いていると考えたほうが良いでしょう。そして、おそらくギリシャの国民自身もそういった報道に誘導されてきたのではないでしょうか。

 「ギリシャの国民の80%はユーロ圏にとどまることを望んでいる」という報道もそうした意図を感じる報道です。そもそもそんなに多くの国民がユーロ圏にとどまることを、強く望んでいるのならユーロ圏からの離脱の可能性の高い政党には投票するはずはないのですが、実際の選挙ではそれとは逆の方向に向かいつつあるようです。

もちろん、ギリシャ国民にも、ユーロを離脱してしまうと、自分の保有している金融資産が弱い通貨に不利な交換レートで交換させられてしまう可能性など、離脱にはいろいろ心配事があるのは事実でしょう。

 しかしながら、ギリシャがユーロ圏にとどまっている限り、「お札を刷る」権限がない一方で、重税や低い公共サービスに失望した有能な国民がユーロ札の詰まったかばんを抱えて自由に他のユーロ圏諸国に脱出することが出来るという、ユーロの矛盾した制度のままで経済の再生が可能なのか。何よりも、ユーロ圏離脱という選択肢の持つ意味が、国民に公平に伝えられてきたのかは、とても疑問に感じます。

 そうはいっても、ギリシャの政治家や官僚にはユーロ圏をスムーズに離脱する実務能力がなさそうであることも一方の事実であります。危機発生から2年半、危機を克服するどころか国民の痛みが増し続けてしまったギリシャ。これまで、欧州の銀行などの痛みに配慮して、ユーロ圏離脱の選択肢を先送りしたことで、結果として関係者全員の痛みが増しただけだったのですが、もしこのまま、半永久的に「生かさず殺さず」の事態が続けば、それは「鎖につながれたプロメテウス」のようでもあり、本当に現代版のギリシャ悲劇と呼べるかも知れません。
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