グローバルな金融経済の動向を、ユニークな視点を交えてお伝えいたします。

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佐渡裕指揮のベルリン・フィル

 指揮者の佐渡裕さんは、先月ベルリン・フィルを初めて指揮しましたが、その練習風景などのドキュメンタリーをTBSとNHKが相次いで放送しました。

 初めて登場する指揮者の取材に、テレビ局が2つも密着して取材したわけですから、ベルリン・フィルとしても、日本のテレビ局のほとんどストーカーに近い様な有名日本人追っかけにはビックリしたかもしれません。

 バーンスタインの弟子であった佐渡さんの情熱的な指揮は大変に素晴らしいものでしたが、佐渡さんの指揮の素晴らしさは、いろいろなメディアで書かれていると思うので、今日はベルリン・フィルの方に重点を置いて考えてみます。

 これは、テレビでは絶対に体感できないのですが、ベルリン・フィルの凄さは、とても小さく音はよく聞こえないが繊細さと緊張感だけは伝わるようなピアニッシモから、密度が濃い爆発的なフォルテッシモまでのダイナミック・レンジの広さと、その表現の多様さにあります。

 筆者は、90年代にロンドンで暮らしていた時代は、連日のようにコンサート・ホールに出かけて世界中のオーケストラを聞きまくるような、今から考えるとまったく贅沢な生活を送っていましたが、ベルリン・フィルのダイナミック・レンジの広さは世界の一流オーケストラの中でも全く群を抜いていました。

 恐らく物理的な音量の幅広さでも他を圧しているのですが、さらに凄いのは音の密度がどんな音量でも、スカスカの音や乱暴な音にならないで、ちょうど良い密度を保つことが出来ることです。もちろん表現が必要な時は乱暴な音も出せます。

 かすかに聞こえるか聞こえない程の緊張感のある弱音から、ハラワタまで響き渡るようなフォルテシモに変化する響きを目の当たりにするのは、ほんとうに鳥肌が立つような経験です。

 さて、佐渡さんが指揮したショスタコービッチの交響曲は、ベルリン・フィルが髪を振り乱して応じて大変に熱のこもった演奏をしていて、その熱気がテレビの画像を通じてでさえよく伝わってきました。

 ベルリン・フィルの音に慣れたベルリンの聴衆までもが指揮者が「オーケストラのエネルギーを引き出していた」と評価する演奏だったので、もし生で聴いていたら、きっと涙が出るような体験だったのでしょう。(実際、指揮者の佐渡さん自身が感激して涙を流しながら演奏していました。)

 ドキュメンタリーでは、ベルリン・フィルというオーケストラは単に拍子をとっているだけの指揮者は求めておらず、それ以外の何かを団員に伝え、共感させることが出来ない指揮者には、たとえそれが世界的に高名な指揮者であっても、冷酷に扱われることさえあることを伝えています。

そのようなリスクもあるなかで、佐渡さんの場合は情熱やエネルギーを伝え、それを団員からも引き出したことでコンサートは大成功したわけです。

 そもそもベルリン・フィルのダイナミック・レンジの広さと多様さという機能自体、彼らが音符に書いてあること以外のことを日頃から追求していることの証とも言えるかも知れません。

その点が、近年大分変化しつつあるものの「音符を忠実になぞる」ことから大きく逸脱することが出来ない、N響をはじめとする日本のオーケストラとの違いなのかもしれません。

 少し話は変わりますが、現在の政治の機能不全を見ていると、日本人が欧米の文化を単に「真似ごと」のようなやり方で行うアプローチには何か限界があるように思えます。

 佐渡さんの「伝えたい何か」の源流には落語があるそうですが、きっと音楽でも政治でも、大切なのは「何を表現したいのか」ということで、形の問題ではないのでしょう。

 そんなことを感じました。
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武久源造:「ゴールドベルク変奏曲」

ゴールドベルク
 このゴールドベルク変奏曲の録音は素晴らしいです。
 チェンバロ奏者の武久源造さんのことは、うかつにも最近紹介してもらうまで知りませんでした。ゴールドベルク変奏曲といえば、グレン・グールドがキャリアの最初と最後に録音した2枚のCDが大変に有名ですが、武久さんの演奏はある意味ではグールドとは正反対の音楽です。

 グールドの演奏は、あまりにも感性豊かで繊細、耽美的ともいえるかも知れないもので、最後はその感性に演奏者自身が押しつぶされてしまった感さえあります。一方の、武久さんのゴールドベルクはチェンバロという楽器は繊細なタッチを生かしつつ、何というか骨太で確信に満ちた音楽を造っています。

 武久さん自身がCDの解説書で、「バロック以前の音楽では重要な決定が奏者に委ねられていると言う場合が多い」として、「良い演奏家は、良い趣味と良識を持つ一方で、それをも覆すかのような奇想天外なアイデアを出すことを求められているのである」と書いて、作品に対する良識と演奏者の個性のバランスが大事だと書いています。

 武久さんのこのゴールドベルク変奏曲の演奏では、テンポは安定し、(チェンバロという楽器の特性かも知れませんが)音の強弱も過度に揺らし過ぎることもなく、作品全体の構成感というか、建築性を見事に描いてます。一方で、装飾音については現代の演奏にしてはかなり自由に挿入して、バッハの巨大な音の建築物を飾っています。

 グールドの演奏が、魂を揺り動かす作用があるとすれば、武久さんの演奏は魂に安定感を与える作用があるという印象を受けました。 
 

グレン・グールドの「イギリス組曲」収録風景

 最近、「楽しみと日々」の東谷さんに啓発されて、久しぶりGlen Gouldに聞いています。

 下の映像は、1974年にグールドがバッハのイギリス組曲のレポーディングを収録しているドキュメンタリー「Alchemist」の一部です。イギリス組曲の第一番の4曲目に非常に静かな「サラバンド」という曲がありますが、グールドはこのサラバンドを信じられないぐらい瞑想的で美しく弾いています。そして、サラバンドの後に一転してとてもイキイキした「ブーレ」が続きます。
 
 映像はそのブーレの部分を何度も録音しなおして、部分的につぎはぎしながらレコード(CD)を作っていく様子を記録したものです。グールドはクラシック界にありがちな人工的な加工を嫌い「一回限りの生演奏」という価値観に全く重きを置かない人物で、最終的に自分が気に入る音楽を造るには、どんな技術でも取り入れる考えているようです。そうした考え方がこの映像からよく把握でき、彼を32歳でコンサート活動から決別させたことも納得させれられます。

 グールドは録音は「コンサートの代替」以上のものであると言っていますが、この映像をみれば彼が録音に大変なエネルギーを割いていたことがわかりますし、私たちはそのおかげでグールドの死後30年も彼の演奏を堪能することができるのです。

メイプルとスプルースの匠、自由ヶ丘ヴァイオリンの横田さんのこと

 東京自由が丘の駅前のロータリーを横切って3分ほど歩くと、もう商店街から抜け出して、おしゃれなブティックと立派な住宅が交互に立ち並ぶ静かなエリアになります。そこに自由ヶ丘ヴァイオリンがあります。

自由ヶ丘ヴァイオリン(小)

 このブログのタイトルに使っているメイプルという言葉は楓(かえで)、スプルースは松の一種のことで、それぞれヴァイオリンやチェロの裏板、表板に使われる木材です。

 そして自由ヶ丘ヴァイオリンのご主人の横田直己さんこそは、メイプルとスプルースという素材を操る匠で、億円単位の銘器の修理・調整をこなすばかりでなく、ご自身でも最高レベルの新作ヴァイオリンの制作もされています。

 横田さんがヴァイオリン制作にかける情熱は凄まじいものがあり、300年前の銘器の現物や入手可能なありとあらゆる写真を使って、一見単なるキズにしか見えないような小さなスジの一つ一つを丹念に研究しています。そして、ストラディヴァリの時代にはあったものの、現代に至るどこかの時代に失われてしまったヴァイオリン制作の技術を再興しようというのです。

 ブログ管理人が横田さんと初めて知り合ったのは、2005年の夏ぐらいなのですが、その頃の横田さんは自作のヴァイオリン制作を本格的に開始されてちょうど1年ぐらいの時期であったと思います。

 それからの数年間、横田さんは商売よりもヴァイオリンの研究を優先させ、 古いヴァイオリンの一つの小さなスジの研究に何週間も費やすような生活を続けました。その熱中ぶりは、傍目から見ても、4人の娘さんを抱えた一家の生活が本気で心配になるほどのものでした。

古ヴァイオリン(小)


 さて、そんな横田さんが今年2010年10月にHPを開設し、長年の研究の一部を公開することを始めました。おそらく、ご自身のこれまでの研究に十分な自信を持たれた結果なのだろうと思います。そしてその成果は、横田さんの自作のヴァイオリンの響きにも十分に反映されています。

 ヴァイオリンに興味をお持ちの方は、是非下のHPを覗いみて下さい。自由ヶ丘ヴァイオリンを訪れれば、最高の「メイプルとスプルースの響き」に出会えるはずです。

自由ヶ丘ヴァイオリン

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